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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

戯曲 花筵・・・芸文館公演



 

  

一人芝居





       花 筵 (はなむしろ)



            吉 馴  悠



          人  安木あや

          時  現代の櫻のころ

          所  倉敷、酒津付近



    舞台  安木あやの家の一部と庭。中央から右手にかけてあやの部屋がある。部屋には日常に必要

なものがある。下手に仏壇があり花ござが丸められておかれている。たとえば茶だんす、花瓶に花、

電気ストーブ等、中央には布団が敷かれてあり、枕元にはアルバム、電話がある。

    その部屋の右手に障子があり、他の部屋に通じる事が出来る部屋に面して左手が庭になっていて一

本の桐の木がある。部屋からも庭からも、酒津の桜並木と、高梁川堤がみえる。庭と道路を区別する

ために簡単な竹垣がある。



       抽象的な舞台処理でも良い。

       明かり、音が効果的であること。

       そのことはここに記すよりその場面で考えること。



          幕の前に、機の音



       幕があがると舞台中央にあや(八十才) 前出の景色は夕焼けに染まり始める。



あや  あれは大正十二年のことじゃった。うちがここに嫁いだのは・・・春まだ浅い高梁川をお父の操る高

瀬舟で下った。小さな風呂敷包みを抱えて川の流れに揺られながら、うちの心も不安で大きゅう波打っ

ておった。川の流れは速かったり遅かったり河幅は広がったり狭かったり、何度も何度も曲がりくねり、

船を木の葉のように弄んだわな。その河の流れがこれからのうちの人生のように思えて・・・酒津の櫻が

ようやくつぼみを付けた頃のことじゃった。あれはまだ、東高梁川と西高梁川に分かれとるときで、次の

年東高梁川が、酒津で土手を築き堰き止められ西高梁川が高梁川となったのじゃな。そん頃のこと・・・

お父と兄じゃ、お母(おかあ)に連れられて、この里へ・・・うちがまだ十四の時じゃった。うちらはの簡単

な盃を酌み交わしただけの祝言、その時初めて夫になる人の顔を見た・・・この人がうちの大切な人にな

る人・・・やさしい目をしておった。その顔をみてこの人と二人でどんな苦難の道でも歩いてゆこう。そう思

うた・・・。

    東の空がみどりに変わろうとしておる頃起こされた。遠くでカタンカタンと言う音が聞こえてきとったが

、その音が何の音かわからんかったが、だんだんと大きゅうなりこの里全体の音に変わっていった。そ

れが機の音じゃった。

    女子はすぐに、生きる場所に慣れるとお母が言うとったが、本当じゃつた。



                    容暗

          容明すると

          あやが仏壇に手を合わせている。仏壇の傍にあやが織った花筵が見える。



あや   あんた、うちももうすぐに・・・。

    見えるじゃろう。酒津の土手の一目千本櫻が花びらを下に向けて咲いとるのが・・・。まるで白いふん

わりとした綿菓子のようじゃ。花びらが風に弄ばれて、この庭にも一杯に、まるで絨毯を敷き詰めたように

・・・。この庭で二人縁側に腰を掛け黙って見とった・・・。懐かしいわな・・・。

  今じゃすっかりうちと一緒であの櫻も老いてしもうた。花びらの色が違う・・・。



    あの櫻は何十年と春には花を開き、多くの人の目を慰めてくれた憩い櫻、じゃが今では手入もして貰

えず、心ない人に枝を折られ、あの頃の勢いではぬえ。今は傷んで死んで行きようる。じゃあけえど・・・。

  秋には葉を落としてひっそりと、冬の冷たい雨や風に身をさらしながら・・・それを耐えて、また、春に

は・・・なんだか、人間の生き方に・・・。



          遠くを望する。音楽。



    初めてあんたを向かい入れた時、この人の人生にうちの人生を重ねようと思うた。

    あんたは何も言わずに笑ってくれた。

   「今日は一日何もせんでええ」と言うて、そうして腕枕をそーと抜いて起き上がり仕事場へ。

   身仕度を済ませて行ってみると、あんたは、てきぱきと藺草を梳いて機に入れ、このようにするんじゃと

、藺草を縦糸の中に走らせカタンカタンと織り込んでいく。その後であんたの姿をじっと見とった。縦糸

があんたなら、織り込まれるうちは藺草、花ござの模様があ鮮やかに浮かび上がってくる。それがうち

らの人生模様じゃと感じた。出来上がったものを見るのが楽しかった。



    織った花ござをリヤカーに積んで高梁川の土手に乾しにいく。

    リヤカーを牽くあんたの後姿を見ながら、うちが後を押す。

    なにもなかったけえど、二人の時間が一つになって・・・。

    汗が快かったわな。



          庭に人の気配。



    どなたでしたかな。ああ・・・これは・・・。ええ?・・・ああ・・・。

    山本里子・・・(里子をみて)ああ、里子さんですか。いつもすみませんのう。少し考えごとをしょうたも

のでな・・・そんでまた、きょうは何の用ですりゃあ。

    これでも自分のことは出来ますけえ、もっと出来ん人の所へ・・・。



   ええ、おともだち・・・を連れて来たと・・・。

    小寺公子さんですかのう。年寄の話が聞きたいとのお・・・。そりゃあまあ・・・。



    ああよう来なさったな。



    あんたも花むしろに・・・まあ座りんせえ。

   ・・・。うちはこげんな体じゃけえ、もう機を

   織るこたぁできませんがのう。

    ああ・・・今は藺草もありませんけえ・・・昔ぁ、夏には藺草でこのあたりの田圃ぁ、みどりの布をひきつ

めたようじゃった。四国から藺草刈りの人が仰山来てくれて、日が出る前から日が落ちても・・・。

    あれぁ、もう四十五年も前になるかのう。



    花ござを織らせたら・・・。

    名人じゃったと、いやいや、ただ織っただけじゃ。手とり足とり覚えのわりいうちに辛抱づょう教えてく

れたお婆ちゃんやうちの人の言う事を守っただけじゃ。



    大変もなにもねえ・・・。

    それが当たり前じゃつた。あの時分にここへ嫁に来たもんはみなそうじゃつた。

    じゃあが時の流れとでも言うのでしょうかなぁー、今では機を織るのはもうまれになってしもうたわな。

    あん頃ぁ、花むしろといやあ。岡山の倉敷、せえも西阿知と言われとったもんじゃが・・・。

    世界へ向けて輸出しょうたけえ。

    織っても織っても間にあわなんだ。

    模様の美しさが受けたんかのう。



    あんたらのような若けえもんにぁわからんのがあたり前かもしれんの。

    昔から、冬ああたこうて、夏涼しゅうて・・・。一番日本の風土にあっとる敷物じゃ。



    織り方を知りていと・・・。



    そりゃあ、藺草を刈って、藺どろの中につけて干かしたもんを。



    藺泥がわからんとな・・・。



    藺どろとはの、藺草の青味をのうせんようにするんと、つやを出すためにつける染料のような特別の

どろでの・・・うちらは藺どろのついた藺草を水につけて、泥をおとし、藺草をやらこうして機に入れるん

じゃが、機を織っとると煙のように藺どろが舞うんじゃ・・・(遠くをみつめて)子供らぁ、母親の機を織る

そばで遊びながら藺もとを抜いとった。



    藺もととはなあ、藺草の根のところに、はかまのようについとるもので、はかまをとるとも言うんじゃが

、それも子供らの仕事じゃった。



    (遠くを見る仕草)そうなんじゃ。天気のええ日にぁ、子供らがござを一杯リヤカーに積んでの高梁川

の土手に干すんじゃ。遊びてえ年頃の子供らぁの、河原に降りてぁ水遊びや、魚釣りをしておった。でも

のう、子供心にも親の織ったござのことが気になっての、空の雲行きを眺めてぁ遊んどったわの。大事

なござを雨にでもやられたら、大騒動じゃし、風に飛ばされりゃあ大変じゃ・・・あん頃ぁ、どこの家でも

機の音をたてとった。この町一帯がその音で包まれとったわの。隣が朝の五時に起きて機の音をたて

りゃぁ、その隣が四時にと、まるで競争じゃったわの。



    畳み表とは・・・。

    いや、あんまりかわらんが・・・



          静かな音楽(M・I)



    ござでも、花むしろは少しちがうわの。機に型木ちゅうのをはめての、色々の色のついた藺草を機に

入れて織ってゆくんじゃ。型木を入れるんと色をつけた藺草の違いだけでの、織るのは一緒じゃ。じゃ

がの、藺草のたけを揃えて機にいれるんじゃが、中には短いのが混じっておってな、表に藺草の先が

出る、それを織毛と言うての、それを毛とり器でとるのも、子供らの仕事じゃったわの。



          あや大きく咳き込む。



   ああ心配はいらん。近ごろは・・・。花粉症かな・・・。

    このところ夜にぁ、毎日のように咳き込みましてのう・・・そういゃあ、ござを織っとった人たちはみんな

胸をやられての、咳き込んどったわ。藺どろがかわいて空気に混じり、それを吸い、肺にほこりがたまっ

て・・・塵肺という職業病があったわの。



    百姓が藺草を植えんようになったのと、水島に工場ができて、そこで働くほうが楽でお金になったけえ

。若い者なぁござを捨て、工場へと勤めだした。藺草ぁ真冬の氷のはった田圃に入っての、氷を割り割

り藺草の苗を植えての、そいで、真夏の炎天下に刈り取るんじゃ。そりゃあ大変な重労働であったけえ

の。その上に、水島の工場の煙で藺草の先が枯れるし、熊本や中国、韓国の安い藺草が入ってくるよ

うになったんで、この地方の百姓はのう、藺草を植えんようになってのう、花むしろの倉敷と、いわれた

花むしろがだんだんとのうなってゆく原因にもなっていったのじゃろうのう。



    時の流れにぁ流されるしかありませんけえ。

    おばあちゃん・・・おばあちゃんは今迄に多くの仕事をしてこられたんですもの。打ち込むものがあった

んですもの。私は羨ましいわ。と若いもんは言うけどの、なんでも続けようるとそれがだんだんと好き

になるものじゃろうのう。

    うちらぁ、うちの人から教えられた機を織ることしか知らんかったし、それしか出来んかった。・・・今で

ぁこげんな体になってしもうてからに。



    子供のことですかな・・・。

    勇造は水島の工場に勤めたが、やめた。せえから、田圃を売ったお金で、小さな工場を大阪に造り、

今でぁそちらに住んどる。・・・庭のすみであまり大きゅうなってねえ桐の木がありましょうがのう。あれ

は初孫の達夫が産まれた時に植えた記念樹ですんじゃ。

    あれが達夫じゃ。毎日毎日こうして大きゅうなるのを楽しみに眺めとるのですんじゃ。



    うちを一人残して(呟き)・・・息子ぁ大阪に来いと言うけどなぁ、この家にぁ、おじいさんとの思い出や子

供らとの思い出がぎょうさんありましてのう。うちぁこの家で死にたいのですんじゃ。

    おじいさんの仏壇のそばに、花ござを立て掛けとりましょうがな、あれには深い思いがありましてな。

    その花ござの上でうちの人生を終わりたいと思うとります。



         (M・O)

          あや、大きく咳き込む。



    (頭を下げて)ああ、楽じゃ楽じゃ。



          あや、上半身を起こしている。



    いいえ、かまわんで下さいの。

    近ごろは・・・。時折急に胸が押さえられたようになったな・・・。

    これは、うちの一人ごと独り言・・・。



    医者!いいえのう、・・・この歳迄生きてきて・・・。有り難いと思うとります。



          三味線の音が流れる(M・I)



    うちぁ、多くの人たちに使こうてもらえる花むしろをぎょうさん織った。うちの子供のようなものですらぁ

。今ぁ、古びてしもうて燃やされ、捨てられているかもしれませんわの。そんでもな人に使ってもろうた

、うちが織った物が人の役にたったと思うとな、生きてきた思いが、深い歴史となってうちの心を満足

させてくれますのじゃ。うちぁ、今の世の中が、うちら年寄に何もしてくれん。生きる目的を、価値を与

えても認めてもくれん。でも、生きて、造ってきた過去がありますけえ。うちぁ、うちの人生をぐちりとう

ないのですんじゃ。



    あんたらもなんかをする事じゃ。

    誰の、何の役にたたんでもええ、それが大切じゃと思える様になりましたがのう。

    何かをすることに意味も目的もいらん。ただ、正直にすることじゃ。自分のためでええ。何も綺麗事を

    言う必要もねえ。人様の役に立ちたいなんぞと、大義もいらん。ひた向きに自分の為に生きとることが

    、誰かの役に立つときが必ずに来る。そう思うて生きてきましたがのう。



         (BGM・OUT)



    なあに、答えなんぞはよう出さんでもええ。

    あなたぁ正直な人じゃのう。他の人はその行為に酔っておるちゅうのに・・・ああ、少し疲れたな。横に

    なって休むかの。帰る時に眠っとったらそのまま起こさんで帰って下されの。



          あやは横になった。



                   容暗



          機の音が一際賑やかに響く。

          そしてだんだん小さくなる。



          中央にトップが降りる。

          その中にあやがいる。

          下手に細い単サスが降りる。



あや  「おめでとう御座います」

   一銭五厘の赤紙が連れ合いをもっていった。

   あれは昭和十八年の春じゃつた。高梁川の流れは雪解け水でいきよい良く流れ、酒津の土手には櫻 

   が満開じゃつた。

    出征を祝っての酒盛りは村中のみんなが集まりほんに賑やかじゃつた。

   「一億一心」「撃ちてしやまん」「撃て鬼畜米英」「大和魂」「カミカゼ」「武運長久」

   様々に言葉が飛びかっとった。

   「露営の唄」「同期の櫻」「麦と兵隊」「予科練の唄」「若鷲の唄」「加藤隼攻撃隊」

   軍歌が村全体に響いとった。



          音楽のメロディー。



   うちは、みんなの酒の燗や、肴の用意におわれとった。長男の勇造は陸軍にとられとつたけえ、連れ合

   いまでとは考えとらなんだ。長女の房子は女学校へいっとつたが、学徒動員で水島飛行機製作所へ・・

   ・。藁で作った厚紙で飛行機を造っとると聞いた時には・・・。

   台所で酒の燗をまっとると、うちの人が来て、

   うちの前に盃を出して、

   「色々と苦労を掛けたの」とぼそりと言うた。

   「いやじゃ、いやじゃ・・・。」と胸に縋りついていった。

   何にも言わずにうちを力らいっぱいに抱き締めて「きっと帰つてくる」そう言うてくれた。

   酒津の櫻の下を二人して歩いた。

   うちの髪に花吹雪が舞うとった。

   うちの人はそれを払おうとした。

   「そのままにしとって」とそう言うた。

   ここでのうち等の生きとる姿をこの櫻はじっと見ていてくれたと思うとなんだかいとおしいかったけえ。

   出征の行列、その時のあの人の顔は今でも・・・   。

   帰ってこんかった。

   白い布に包まれた遺骨を見たとき、うちは涙もでなんだ。

   「嘘どゃ、嫌じゃ、出鱈目じゃ」と叫んどった。帰ると言うてくれたあの人の言葉を信じて生きて行こうと心

   に刻だんは・・・。

   姑と舅めがつづいて後を追うように逝った。

   うちは夢中で機を織っとった。

   戦争が終わって世の中は変わったが、うちの生活は変わらなんだ。

   夜の空ける前に起きて機をおっとつた。あの人と過ごした思い出を機を打つ音に変え、花筵に織り込ん

   で行った。

   勇造がシベリアの抑留を終えて帰ってきたときにはほんにうれしかつた。

   辺りの景色がぼやけて見えんかった。

   勇造と二人で機を織り、田畑を耕した。

   勇造に嫁が来て、孫が出来て・・・。

   あの頃は幸せじゃつた。



                   容暗



         あやは布団に横になっている。

         あや人の気配に気好き、

         寝言のように、



あや  ああ、花ござですかいの、まだ一枚も織れとりませんのじゃ。

   近ごろじゃあ、藺草がありませんけえな。

   はーい。ご苦労さんですのう。

   無駄足を踏ませてもうし訳ありませんな。



          (M・O)

          あや、目をさまし起き上がって

          機の音(M・I)



    里子さんお客さんかのう。

    あんたぁ、誰な。

    勇造?。

    ああ、勇ちゃんかい。はように藺草を持って来てくれんと、花むしろは織れんがな。

    里子さん。みんなにわけを言うて帰ってもろうてつかあさらんかの。藺草が入らんで、まだ一枚もよう

    織っとらんと言うてのう。

    近ごろぁ、この辺りでは藺草を植えんようになってしもうてのう。仕事ができんのですじゃ。

    あんたぁ、誰かな。嫁の鶴子・・・。

    ああ、隣の嫁の・・・今では、ビニールでござのにせ物を織っとるという・・・あんなもなあ、やめときんせ

    え。



    うちはボケとりぁせんで、このようにシャントしとるが、

    勇造、高梁川の土手に乾しとる茣蓙は大丈夫じゃろうの。雨に合わせたらそれこそ今までの苦労 

    が水の泡じゃからな。

    勇造、藺草の袴を綺麗にとらにゃあ。品物にならんが・・・。

    鶴子さん、早ように藺草の丈を揃えて、

    達夫が泣いとるで、乳をやらにゃあー・・・。

         

           登場しないがあやの動きが一人芝居として必要。



    あんたらあ、何をするんじゃ。こかあ、うちの家じゃ。こかあ、うちの家じゃ。

    大阪へ連れていく。いやじゃ。病気が・・・。かまわん、心配してくれんでもええ・・・。

    うちはここに居りたいんじゃ・・・。



          あや、二人の手からのがれ、機に しがみつく。

          (M・O)



    うちはこん家から離れりゃせんけえな。



          機の音がけたたましい。(M・I)



    いやじゃ、いやじゃ、うちぁ、どこにも行きゃせんけえ。この土地を離れりゃせんけえな。花むしろが織

    れんようになってからも、うちの耳には機の音が・・・そうして、何枚も何枚も、心の中でつぎつぎと織っ

    ておったんじゃ・・・うちぁここで花むしろを織り続けるんじゃ。うちはうちの織った花ござの上で死にた

    いんじゃ。



          (M・O)

          機の音(M・I)



    勇造、お願いじゃ。鶴子さん許して・・・。

    大阪にいって大きな病院に入れば元気になるかもしれんが・・・。

    うちはここを離れとうはねえ。

    うちの心に入りきらんほどの思い出があるんじゃ。

    二人の気持ちは涙が出るくらい有り難いと思うとる。それが子供の親孝行じゃろうが・・・、

    うちは十四歳でここにきて、今まで花ござを織り続けてきた、それが、うちの大切な大切な事のように

    思えるんじゃ。

    うちが・・・。いいや、うちは一枚一枚にあの人とうちの懐いを織り込んできた。二人で歩んで来た道で

    出会った沢山のことを・・・。一枚も疎かに打つた物はねえ。

   勇造のお父が戦死してからも、機の傍には何時も   あの人がいた。がんばれ、疲れるなよ、大丈夫

   か?機の音よりあの人の声の方が聞こえとった。

   この家は、この家はあの人の家。

   嫁いできたうちは、あの人と過ごしたこの家で、

          

             仏壇の前におかれている花筵をさして、



    二人で織った花筵の上で死にたいんですんじゃ。それがせめてものあの人への供養・・・。

    花筵を織り続けた女子の意地じゃ。



          あや、ふらふらと立って、



    勇造、鶴子さん、酒津の櫻が満開じゃ。

    そうれ、庭に飛んできて・・・。



    あの人が出征する前の晩、満開の櫻の下を二人して歩いた。

    あの人は、きっとここえ帰ってくると約束してくれた。じゃから・・・。

    うちがおらなんだら・・・。



    勇造、夕立じゃ。茣蓙を取り込め!



           あやが崩れるように・・・。





                  幕



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